GO TO TRAVEL と GO TO EAT という政策から,経済政策の枠組みについて考える イデオロギーを練り直す

私が,とてもエンジョイしているタイトルの両政策について評価や,なぜその政策がでてきたのか,どういう政策効果があるのかなどを検討したり,実際の施行状況を実体験を交えて話して,なにか役立つことがあるのではないかと思って書いていきます.いつものことながらガーッと書きながら考えています.政策の政治経済的背景や解釈を私が解説しているのを聞きたい人,私がどうやって楽しんでいるのか知りたい私に興味がある人などがこのエントリの読者対象になっていくと思います.わからない用語などについてはググってくださったり,初級の教科書(大学学部程度)を一通り読んでくださるのを読者に期待しています.

ここのところ,GOTOEATでもらえるポイントの範囲内で飯を毎日食っています.綺麗でお洒落なレストランで,政府補填飯であるイタリアンをありがたくいただきながら,私は,私のブログをスマホで読み返していました.なかなかおもしろいですね.萩の旅行を見返したらとても大事なことが書いてあります.そうですね自分でも書いたことを忘れていたりして,見返したらおもしろいなというやつです.あと数ヶ月しかない政策について,いま書いておかないと忘れてしまうだろうし,教訓もクソもなくなるのではないかと思って書いています.

COVID19では,当然経済全体の供給力も落ち込み,NGDP(総需要)も落ち込みました.当然ながら人が外で働いたり,金を使ったりできなかったからですね.これは,純然たるリアルショックとしては今世紀で最大規模のものです.総需要不足下で起きた東日本大震災や,総需要不足下で起きた消費税上げ(アドバースサプライショック),よりも遥かに影響が大きなものです.

私は過去に鳥インフルエンザウイルスが流行った頃には大学院生でした.ミクロ経済学の教科書でよくあるようなかんたんな線をグラフに引っ張るだけで,需要弾力性の違いと固定費用から,(這ってでも仕事にいくような)ビジネスマンがいる都市部のホテルは休業せず,遊びで訪れる観光地のホテルが先に休業するのを予測したらその通りになりました.ここらへんでは有馬温泉がまっさきに休業を決定したのを覚えています.その時使ったのは独占を仮定したモデルです.とても状況にフィットしたので,旅館業ホテル業というものは独占度が高いのだなというのを知りました.

おそらく規制各種で守られているうえ,プレイヤーも少なく,立地自体が独占力の源でもあるからでしょう.

ちょっと書いていくことを一覧にしてみます.

(ホテル飲食)供給側が地方の一大政治勢力になっている

投票所へ行ける暇な人に補助金をあげている

GOTOEATは,なにそれ食えるの?に応えられる 唯一の素晴らしい政策 

上記のように独占度が高いというのは,市場競争に,あまりさらされていないということです.その源は究極的には政治力でしかありません.ホテル飲食などは供給側が地方の一大政治勢力になっているのではないでしょうか.

GOTO EATもGOTO TRAVELも政治的なものです.どちらも歩いて投票所に行ける機会費用が少ない人への補助金です.すなわち,各種申請や制度利用ができる程度にはボケていなくて投票所に行ける程度には暇で元気なシニアへの主な補助金です.忙しい現役世代や,投票所へ行けない老人は,なかなか利用できずメリットを受けれない,受けづらくなっています.レストランの予約状況を私はアプリでリアルタイムで見ておりますが,現役世代がご飯どきに予約できるという機会は少ないでしょう.明日仕事なのにようやく空いている深夜のレストランを予約できるでしょうか.私は高齢者と同じようなポートフォリオ(資産がいっぱい!)と機会費用で生きている暇人なので,どちらの政策もとても満喫しています.

誰しもに平等に開かれたはずの制度であるが,実際上メリットを多く享受できるグループはおそらく意図的に偏っています.そんなわけで,現在を所与とするなら暇と資本はこの国では大事なのではないでしょうか

以前,私は,経済政策は,考える枠組みや基点としてはネオリベラル的に見るのが,まずUSEFULではないかと書きました.それについては,いまも変わっていないのですが,そのレンズやフレームワークでみても,いまの状況はひどいではないかと思っています.

それは上記のようなGOTO政策がレントシーキングの結果でてくる,というささいなミクロ的なことではなくて,人の生を無条件に全く政府が保障していないという経済的な枠組みの根本の問題点のことです.ネオリベラルの先生は,多くは「みんなしたい仕事をしている」のように世界を認識していますが,そういう場合もあるでしょうが,多くの場合,実際そんなことありません.有形無形にも強制があります.ラストリゾートの生活保護は受けるのが恥ずかしいもののように吹聴され,一挙手一投足を決めている分厚い行政手順書のようなものがあるぐらいです.また,就労指導のような強制もあるでしょう.働かないと食っていけない社会より,働かなくても食っていける社会のほうがいいに決まっています.生産→生活という枠組みから,生活があって生産があるというフレームワークに替えなくてはいけないのではないのでしょうか.唯一政府のみが,人々の生活を,貨幣を通じて保障できます.以前,国民主権なので,みなやんごとなき暮らしができるよう目指すべきと書いたのですが,このような背景があります.日本人は毎年2万人から3万人も自殺しています.自殺者数は氷山の一角で,実際にはその何倍もの人生が自殺には至らなくても毀損されています.これは政府の怠慢ではないでしょうか,その能力があるにもかかわらず行使していない状況は無能ではなく怠慢です.人を生かす必要があります.

さて,その点GOTOEATは素晴らしい政策です.人を生かすという意味では,本当に直接的で,政府が食わせてくれるのですから.そして,その能力が政府にあると実地に実際にまざまざとみせつけてくれます.「なにそれ食えるの?」に応えられる政治的イデオロギーや政策がいったいどれだけあるでしょうか.GOTOを除けば,ヤンシュバイクマイエルの行列のように,料理はでてくるが人が人を食っているような,ふつうの持たざる人には食えない政策ばかりです.政府が人々の生活を保障する力があるというのはこれで分かってもらえると思います,そしてまずなによりもそれを根本の政策枠組みにビルトインするのが大事なのではないでしょうか.技術水準や知識水準は,ヒト科ホモサピエンスの性質上あがっていくだろうし,もし生活保障の前提のない社会でしかそれらがあがらないという極端な前提にたったとしても,勝手に諸外国があげてくれます.

実地の舵取りでは難しいことがたくさんあったり,捉え方も何通りもの見方や説明があるので,また他の記事に書こうと思います.これはBIやEITCなどの実際的な話よりかは,どちらかといえばイデオロギー的なものです.イデオロギーを練る大切さは萩でも学びました.(過去記事参照) 人々に質の低い労働を強制しても食わせられない政府より,強制せずみんなを食わせられる政府のほうがよいです.イデオロギーも広まるのにはミクロ的基礎があります,自由があった上で無条件に「食える」「生活できる」ほうがミクロ的にメリットがあるので既存のネオリベラルなどより強いと思います.いろんな政策案があると思います.とにかく現状は世界中で政策を考えるにも前提を間違えているので,技術水準の向上で,豆腐の角に頭をぶつけるのがちょっと便利になる程度で,実際はヒトも生まれなくなり総効用が削減されているのではないか?生の質が低下していく枠組みなのではないか?と思う次第です.長くなったので,とりあえずこれぐらいにしておきます.なにか質問などあればコメントください.

Tweet URL (ブラウザでいま表示されているURLをツイートします.個別記事へのリンクを作成したい場合は個別記事のタイトルか日付をクリックして固有のURLを表示させてください.新しいタブで開きます.ぜひ好意的なコメントをつけてツイートして,ブログ閲覧者数向上にご協力ください.ブラウザや環境によっては,このツイート共有リンクが機能しない場合があります.その場合は,ブラウザに搭載されているツイート共有機能をご利用ください.)(Clicking this link will tweet the URL that your browser is currently displaying. If you want to create a link to an individual article, click on the title of the article to display the unique URL. Open in a new tab.Please help me increase the number of people who read my blog by tweeting with a positive comment!Depending on your browser or environment, this Tweet sharing link may not work. In this case, please use your browser’s built-in tweet and share function. )