子供がほしい なぜ嫁探しなのか

書きながら考えるエントリになっています.思考実験的なもので,究極的にはこう言えるがどうなんだろうという試考を含んでいます.

なぜ嫁探しなのか.端的に言えば遺伝子を残したい,子供がほしいからです.女友達から,「じゃあべつに結婚しなくてもいいんじゃない?」と言われることもあります.「そうなの?」と思ってしまいます.私としては,データとしては日本では非嫡出子が圧倒的に少ないので,結婚を目指さないといけないのではないかという考慮があります.結婚しなくていいなら,それでもいいです.

目的 子供がほしい →状況を眺める →この配偶市場では,非嫡出子が少なく結婚は必須であるのではないか →嫁を探そうという考えです.

インターネットは特殊な選好の人を探すのにもってこいなのに,メインストリームに自分の資源を投じて問題解決をしようとしているので,とろくさい方法かもしれません.じつはもっと直截的に「遺伝子が残したい,子供産んでくれませんか?」という表現でもいいのかもしれません.できればたくさん遺伝子を残したいです.

誤解のないように言えば,べつにここまで文章にしたほど合目的的にむきだしに日々の判断をしているわけではないですし,究極的にとりあえず考えてみればこんなかんじということです.

もちろん素晴らしいパートナーと出会って愛し合って,日々の生活を楽しんで,各地を旅したり,よりよい生活をして一緒に夢をかなえていきたいというロマンティックな考えもあります.ただ一方で,異性と長期的関係を作る用意ができていないわけではないのですが,まだぜんぜん結婚適齢期ではない,いろんな若い女性とお話したりゲームをするのも楽しいです.(そんなに異性の交友関係ないのですが.)

大学2年生の夏休みだったか,ぼくは,図書館にこもってこれからの人生の身の振り方をどうしようかと考えました.そこで,資本で食っていこう,株でやっていこうと決めたのです.ちょうど経済学が楽しいなと思っていた時期で,かなり本質的である本を読みました.だいぶ経験を積んだあとから思えばですが,私は勘が冴えていたのか,導いてくれる人や本をぜんぜん外してこなかったのがよかったですね.

ティンバーゲンの定理ではないですが,一つの目的に手段を一つ割り当てたほうが良い気もします.子供がほしいなら子供を産んでくれる女性だけさがす,日々楽しく過ごすなら,日々楽しく過ごせる人と過ごす,長期の生活は長期の生活ができる人とする.でもそれは文化的にも配偶市場の現実としてもなかなかできないのでしょう.シングルマザーなどでやっている人はいるのでしょうが,(良い遺伝子の種だけ探すのと,子育て+経済資源供給に向いている男を分けて探す,など),子連れの女性は配偶市場ではとてもとても価値が下がると思います.なかなか当事者は理解できていないようです.(それを理解できない人がシングルマザーになる傾向があるという側面も考えられるでしょう)その裏返しで,子供を産んでくれるだけの女性を探すというのも難しいでしょう.

だいぶ話がそれましたが,図書館で過ごしたときの思考過程はこんなかんじです,

生きていくには金がいる
→効率よく金を稼ぐには
→大学図書館にこもる
→金を稼ぐには資本か労働しかない
→労働は自分の時間と人生を取るしめんどくさいので,資本で稼ごう
→本当に資本で稼げるのか?
(長期の労働資本の分配率が安定していることを確認,神経経済学的な資本のリターンの源泉を確認)
→どうやら可能なので資本でやっていこう 不動産か,株か
→不動産賃貸業は案外に大変である,まずは株
→タネ銭を稼ぐ
→相場で儲けていく

いわば社会的適応の必須条件であるお金に着目して,思考を展開して,長期計画をたてて問題解決をはかった延長が,いまの私というわけでもあります.ずっと質素倹約をしてお金を貯めて,会社で短い期間ながらサラリーマンをしたりして,投資をして増やしてきました.アルバイトもしていたし,べつに働きたくないという考えが前面にあったわけではなく,自分を自由にして人と愛し合う時間を増やそうという,考えが強かったですね.寂しがりやなのかもしれないです.私は同世代で言えば,3σか4σか5σかわかりませんが,労働時間比でいっても,資産額はかなり外れ値です.それにあわせて少し思考の特徴があってもおかしくはないのですが,その本質はこんなところです.たとえば1学年に10万人に1人程度でしょうか,東大理三に受かるような人は,(まるで神の子のようないい人が多いですが),とても優越願望が強かったりするのと同様です.べつに私は,ケチで非利他的だからお金を蓄えているというわけでは全くないのです,社会の中で楽しんでいたい,楽しむ時間を増やすにも自分を自由でしていたい.そんなかんじです.

べつにカネのために経済学を勉強したわけじゃなくて,純粋に経済のことを考えているだけで幸せだった,また経済学が本当に好きだったというのも適応形成にはよかったですね.好きなことをやっているのが金儲けにも活かせるので本当に幸せだと思います.とくに金がベンチマークなら,数値でわかるので自分がいまどこにいるのか達成状況を外すこともないです.

歳もとってお金もあるので,あまりお金は使わないのですが,日々楽しく過ごしています.自律のためには「できるけど,しない」という状況が大事です.お金があって,フェラーリでもなんでも買えるけど,自分の意志ではしない.この状況は精神衛生にも大事です.(フェラーリなんて顕示消費物品なんてほしくもないし,とくに哲学もなくそんな消費をする人らはすこぶる趣味が悪いなと思いますが,{「その金でもっとほかにすることないの?」},最下層が十分豊かになる仕組みがあれば,豊かな人はどれだけ豊かになってもかまわないなとも思っているので,これは税制(政治)と程度の問題でしょう.)金持ちほど消費資本主義を読んでください.

脱線しました.もっと違う生き方もあったのかもしれないのですが,デカルト方法序説の第三部,森の中を歩く人を思い返したりして,迷ったときもあったがずっと一貫してやってきました.結果として,確かにどこへ行くかわからないかよりマシだったのでしょう.(と,思うしかないです).https://www.genpaku.org/dcart01/dcart10j.html#ch03 (方法序説,新しいタブで開きます)

自分一人を自由にするという目標はすぐに達成したのですが,淡々と運用し,質素倹約生活をしていると,だんだんお金も増えてきて結婚して家庭ももてるのかなという額になって,女性へも目が向くようになったので,真剣にパートナーを探そうと思ったのはここ数年です.

だいぶ長いこと書いていて,ちょっと疲れてきたのでこのエントリは締めます.

今度は違う森に迷い込んだようです.デカルトの森の中を歩く人のように,いまは将来のパートナーを探しています.相手があることなので前より深く険しいです.このエントリも思考が流れていますが,森を彷徨っているのだと考えていただけたら幸いです.何かいい知恵があったらコメントください.まっすぐ歩かなくてはいけないです.まあ,誰かと一緒に楽しんでいたいし,それにちょっと寂しがりやなので,いつかどこかにたどりつくことでしょう.

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