もしも一生独身なら

このままではパートナーを見つけて結婚などできる確率は30%もないと思うので,ずっと独身の場合を前提に先々を実験的に考えてみます.これは私のための思考のためのテキストでもあり,読者は私に好意的に興味がある人を想定しています.

まずもう独身なので,何の目標もありません.子供がほしいといっても,どこかの代理母に子供を産んでくれと頼むにしても,卵子提供者が要ると思うのですが,それは倫理的には実質的なカップルである必要があると解しており,子供も望むべくもないのではないかと考えます.

お金は,まあ,生きていく程度には十分あるので,そこそこに生きていく程度に使うでしょう.いまは割安株,資産株を持っているので,配当程度で生活しておれば,なくなる気はしないのですが,株なのでもちろん100%はありません.私はあまりお金を使わず生きてきたし,お金を使う趣味もさしてないので,本当に最悪の場合でも,生活保護水準でもそこそこ満足できるのではないかという自信があります.生活保護下では食べ物だけが心配なのでMan vs. Wildなどで学んだテクニックで,山で獣をつかまえたり,海で釣りをしないといけないのかもしれません.しかし,生活保護の行政上の手順書的なものが書店にあったのですが,とても分厚く,もしかすると路上で取ったタンポポでさえ収入認定されて,保護費が減らされるというような事態や解釈もありうるのかもしれません.しかし生活保護下にはいるとすれば,まだまだ先の確率が高いでしょう.

本当の最悪の場合は,隕石が落ちたり,日本列島が割れたり世界の金融システムが壊れてシステミックリスクが実現したり,もう最悪は考えればきりがないのですが,まあもっともありうるシナリオはだらだら運用しながら自分でなんとなく生きていく,というところではないでしょうか.私は遺伝的には,総合的にはとても健康で長生きの家系なので,短命で死ぬとは思っていないのですが,いくらかガンの実績もあるので,早逝の可能性も全くないではありません.(早逝といっても,もう35まで生きてしまいました.すこぶる健康です.)90%以上の確率で80歳以上まで生きるでしょう.まったく相続贈与などは期待していないのですが,住む場所程度は私の名義で確保できるかもしれません.私は株で毎日毎日鍛えられているので天気予報士と同じで確率的な将来評価が得意です.世間のように100に振れたり0に振れたりしません,何事も0か100かや,五分五分としか認識できないような確率音痴には理解できないかもしれません.私自身はコロナはほとんど気にしていません.自身の罹患確率評価などとまた違うのですが,コロナで株価が下がったときも株を買い増していました.

暇なので,なにか外へ出て働こうかなと思うかもしれません.タクシードライバーを1日6時間ぐらいやって,他人の話を聞いたりしてみたいなと思ったりもします.空港のロビーで警備員をして,これから旅立つ人,帰ってきた人,行き交う人を眺めたい気もします.塾の先生をして,熱血教師になって,カワイイ女の子を励ましまくって,イキってる男子高校生を締め上げながら,難関大学に合格させたり,彼彼女らの人生を根本から良くするような,たとえば自分で作った目標を達成させていく習慣をつけるような,短期的には評価はされないが根気のいる長期的な教育もしてみたい気もしてみます.でも,スタッズ・ターケルのWorking!のペーソスをご存知ですか.Working!は,70年代のアメリカで,スタッズ・ターケルという人が様々な職業の人にインタビューした分厚い本です.邦訳もあります.山形さんの書評もあります.涙が出るほどいい本です.

高校の先生だったか,彼女は疲れて,最近は,子供の家庭的な背景はどうでもいいと思っているの,という趣旨のことを言います.まあ,究極的に自分の子じゃないですからね.どの大統領でも忠誠を尽くすシークレットサービスが,大統領の政策についてはどうでもいいと考えている,というようなものでしょうか.おそらく私もずっと一人ならなにをしたって空虚なかんじがするでしょう.

ヤン・シュヴァンクマイエルは,私の表現はすべて政治的なものという趣旨のことを述べていたと記憶していますが,私もなにかするにしてもすべて政治的なことでないと納得しない気がします.しかし政治については「歴史は終わって」おり,経済もほうっておいても成長していくでしょう.本来は子孫残して育てる以外にやることはなにもないので,独身は空虚なものです.なにもやることがないといえばないし,あるといえばあるという状況になるのかもしれません.「歴史の終わり」についてはぐぐってください.

私はN国が政治の舞台に出てきたとき本当に驚きました,自由主義的でない部分を変革する政党がミクロ的な広まる基礎を持って,100万票でもって大選挙区の参議院選挙から一人当選者を出してきた.しかも,主なツールはyoutubeです.民主主義は本当に生きているし,「歴史の終わり」のストーリーは続いているんだなという感慨深さです.

以前,飛び切り頭のいい友人と国立科学博物館へ一緒にいったときに「人間って絶滅するかな?」という話をしたのですが,彼の答えは「サルはだめですね」ということでした.人間もサル科なのでサルという表現ですね.ウイルスのような低コスト低パフォーマンスではなくて,「ハイコストハイパフォーマンス」でそこまで多産ではないのが,その理由のようです.もし絶滅してしまうのであれば,結婚して子孫を残すことに意味を持っていることでさえ,無意味な気もします.地表に意味に縛られて生きている人間たち,私もそうです.でもそれはそれこそ最悪の場合,でしょう.確率的にどうなのか,私にはこれは定量的に見えないです.

ハイコストハイパフォーマンスだからこそ,解決策を見つけて生き延びたり進化したりする経路もあるのではないでしょうか.産業革命時に経済成長のダイナミクスが変わったように,(年率0.01とか0.1%の成長から数%の成長に変わった.),もうすぐAI革命,計算資源革命などで,年率数十パーセントの成長が起きる蓋然性も高いと思います.シンギュラリティとか言ってる人もいます.そうしたら,ケインズが言っていたような「我が孫たちの経済的可能性」の世界です,最下層であったとしても,その人生にはただの地上の楽園が広がるでしょう.いまも十分楽園だと思うのです.おそらく絶滅問題は回避するだろうし,子供が幸福だからこそ生んでやる,それでいいのではないでしょうか.

むかし原田泰さんの「エコノミストはなぜ愛について語らないか」というエッセイだったか,を読んでいたら,子供が不幸になると思うとむしろ産まないのではないかという趣旨の一節があって,(論説のロジックの主要な部分ではなかった気がするのですが),とても印象的でした.私は家庭の事情もあって,若い頃は心の底から幸せだとか楽しいとか感じたことはあまりない気がします.生が正の効用を生み出していくものなどと考えたこともなかったのではないでしょうか.一切皆苦の世界観で生きていた気がします.延々と続く泥のような不況があって,いつもなにか目標があって,ただ頑張って頑張り抜いて生をなんとかしてやるんだ,とそれだけでやってきて,歳をとってから,ささやかながら自分の楽しみや自分の感情に従って喜びを得るというのを覚えた気がします.先の見えないどん底の不況で,私はすってんてんで,子供が生まれて嫁さんが~と言うすこし上の世代の人を全く理解できなくて鼻で笑っていました.人間変わるものです.いまは毎日楽しいし,彼の気持ちもわかるし,目標も変わって相手を探しています.

やはりmatingがうまくいかず,もしも一生独身ならという思考実験をすること自体が書いていておもしろくないものです.自分のことなど考えたくもないのですが,考えていたらますます虚無になってしまいます.やっぱり私は,空虚にならずに生きていたい.早くこの問題を片付けたい.

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